第五福竜丸1
※写真、第五福竜丸:第五福竜丸展示館facebookより


マグロ塚
※写真、第五福竜丸展示館のそばに仮設置された「マグロ塚」:静岡新聞より

 米国が1954年に南太平洋ビキニ環礁で行った水爆実験で、被爆した焼津港所属の遠洋マグロ漁船「第五福竜丸」の放射能被害を後世に伝えようと、2000年、都内に建立された石碑「マグロ塚」。もともと東京都中央区の築地市場に設置する計画だったが、都の許可が下りず現在の都立第五福竜丸展示館(江東区)脇に仮設置した経緯から、元乗組員の大石又七さん(82)=東京都大田区=らが同市場への移設に向け署名活動を始めた。
 
 同市場が今年11月、豊洲に移転するのを機に、市場跡地への設置を目指す。大石さんは「核の悲劇を50年、100年先にも伝えたい」と訴えている。
 
 1954年当時、第五福竜丸からは約2トンのマグロやサメが水揚げされて築地に入荷した。しかし、放射能が検出されて販売中止となり、市場の一角に埋められた。全国でも約460トンのマグロが廃棄され、「原爆マグロパニック」が起きた。

 大石さんはこうした事実を忘れないためにと建立を思い立ち、1997年から全国に10円募金を呼び掛けて計画を進めた。ところが、都は市場の再整備を理由に許可しなかった。市場の正門に事件を伝えるプレートだけを取り付け、石碑は暫定措置として展示館に置いた。
 
 大石さんと支援者は市場移転が石碑を「本来の場所」に移すチャンスととらえ、5月下旬から署名活動を開始した。「かつてマグロが埋められた場所に石碑を設置することで、放射能被害を伝える説得力が増す」と大石さん。集めた署名は都や都議会に提出する。
 
 ビキニ事件から62年。23人の乗組員は大石さんを含め5人になり、事件の風化に対する危機感が強まる。「核の犠牲を繰り返してほしくない」との思いが、大石さんたちを突き動かしている。
※2016年6月27日静岡新聞より

■「第五福竜丸事件」と「ビキニ事件」について

<第五福竜丸とは>
 第五福竜丸は 1954年3月1日、マーシャル諸島ビキニ環礁でアメリカがおこなった水爆実験により被ばくした静岡県焼津港所属の遠洋マグロ延縄漁船です。爆心地より 160 キロ東方の海上で操業中、突如西に閃光を見、地鳴りのような爆発音が船をおそいました。やがて、実験により生じた「死の灰」(放射性降下物)が第五福竜丸に降りそそぎ、乗組員 23 人は全員被ばくしました。
 その後、第五福竜丸は放射能がへるのを待って東京水産大学(現・東京海洋大学)の学生の航海の練習船「はやぶさ丸」となりました。

<ビキニ事件とは>
 米国が1954年3~5月、太平洋マーシャル諸島のビキニ環礁で行った水爆実験で、多くの船や現地住民らが被曝した事件。 

<水爆ブラボーとは>
 1954年3月1日に、アメリカが炸裂させた水爆「ブラボー」は、広島に落とされた原爆の1000 倍(15メガトン)の破壊力でした。爆発によって砕けた珊瑚の粉塵はキノコ雲に吸い上げられ、放射能を帯びた「死の灰」となり周辺の海や島々に降り積もりました。放射能は広範な海と大気を汚染したのです。

<漁船の被ばく>
 被害を受けたのは、第五福竜丸だけではありません。日本各地から多くの船が出漁し被害を受けました。1954年末までに 856隻が放射能に汚染されたマグロを水揚げしています。多くの乗組員が被ばくした可能性がありますが、健康被害など不明な点が多いのです。

<マーシャル諸島の被害>
 マーシャル諸島は太平洋中西部に浮かぶ、たくさんの珊瑚礁からなる国です。アメリカは 1946 年から1958年までここを核実験場とし、67回もの実験を行いました。
 実験場とされたビキニ環礁とエニウェトク環礁をはじめ、多くの環礁や島が被害を受けたとされていますが、アメリカ政府はビキニ、エニウェトク、ロンゲラップ、ウトリックの四環礁以外の被害は認めていません。
 人びとの間ではガンや甲状腺異常、死産や先天的に障がいを持つ子どもが生まれるなど、被害が現れています。また、いくつかの環礁では故郷の島に戻ることができません。

<世界遺産ビキニ環礁>
 2010 年 7 月、ユネスコ(国連教育科学文化機関)により、ビキニ環礁は世界遺産に登録されました。その理由として「珊瑚礁の海に沈んだ船やブラボー水爆の巨大なクレーターなど、核実験の証拠を保持している。繰り返された核実験はビキニ環礁の地質、自然、人々の健康に重大な影響を与えており、平和と地上の楽園とは矛盾したイメージをもち核時代の夜明けを象徴している」と発表しています。同環礁の住民は、いまも帰ることはできません。
※下記、第五福竜丸展示館HPより

※参考
・第五福竜丸展示館HP
・第五福竜丸展示館facebook
・第五福竜丸展示館アクセス